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「あばれ天竜」を鎮めた男金原明善(きんぱらめいぜん)翁が変えた天竜川と日本の森林

14 分前
読了時間: 5分

日本には「日本三大人工美林」と呼ばれる美しい森林があります。

奈良県の吉野スギ、三重県の尾鷲ヒノキ、そして静岡県の天竜スギです。

その中でも天竜スギが育つ天竜美林は、日本を代表する人工林として知られています。しかし、この豊かな森林は自然に生まれたものではありません。

その礎を築いた人物が、静岡県浜松市出身の金原明善翁です。

1832年(天保3年)~1923年(大正12年)


浜松では広く知られる偉人ですが、全国ではご存じないかたもいらっしゃるかもしれません。

しかし、その功績は森林づくり、防災、金融、農業、福祉など多岐にわたり、近代日本の発展に大きく貢献しました。

今回は、日本三大人工美林の一つである天竜美林の発展に尽力し、「あばれ天竜」と呼ばれた天竜川の治水に人生を捧げた金原明善翁をご紹介します。


「あばれ天竜」と呼ばれた川との闘い

天竜川は長野県の諏訪湖から流れ出し、南アルプスと中央アルプスの間を通って遠州灘へ注ぐ大河川です。

しかし明治時代以前の天竜川は、大雨のたびに氾濫を繰り返す暴れ川でした。

人々は恐れを込めて「あばれ天竜」と呼び、多くの村や農地が洪水被害に苦しめられていました。

明善翁は、この状況を変えようと立ち上がります。

川の流れを整え、堤防を強化する大規模な治水工事を計画したのです。

ところが、工事の途中で政府の補助金が打ち切られてしまいます。

多くの人が諦める中、明善翁は自らの全財産を差し出し、「どうか工事を続けてほしい」と国に願い出ました。

その熱意に心を動かされたのが、明治維新の立役者であり近代国家建設を進めた大久保利通内閣卿でした。


やがて天竜川治水事業は国家事業として進められることになります。

さらにその話は皇室にも伝わり、昭憲皇太后は感銘を受けて

「浅しとてせけば溢るる川水の心や民の心なるらん」という御歌を詠まれました。

その後、明治天皇も浜松を訪れ、明善翁の功績を称えました。

こうして進められた天竜川治水事業は約100年の歳月をかけて完成し、現在の安全な流域づくりにつながっています。


洪水を防ぐには、その基となる山を守らなければならない

治水工事を進める中で、明善翁は重要なことに気づきました。

洪水の原因は川だけではなく、山の荒廃にもあるということです。

当時の天竜川流域では、多くの山がはげ山になっていました。

木がなくなると雨水を蓄える力が失われ、大量の土砂と水が一気に川へ流れ込みます。

それが洪水や土砂災害の原因となっていたのです。

そこで明善翁は治水だけでなく、「治山」に取り組みました。

山に木を植え、森林の力で洪水を防ごうと考えたのです。

現在では森林が雨水を蓄え、ゆっくりと川へ流す働きを「水源涵養(かんよう)機能」と呼びます。

森林は「緑のダム」とも呼ばれています。

明善翁は、その考え方を150年以上前から実践していたのです。


日本三大人工美林・天竜美林の礎を築く

しかし植林は木を植えるだけでは成功しません。

長い年月をかけて育て、管理し、さらに林業として成り立たせる必要があります。

明善翁は奈良県吉野地方の先進的な林業技術に注目しました。

その指導者が、「日本林業の父」と称される土倉庄三郎氏です。

明善翁は吉野林業を学びながら、天竜地域の気候や地形に合った育林方法へ改良しました。

さらに木材を全国へ運ぶための物流網整備にも力を注ぎました。

東海道線の開通に合わせて貨物輸送を推進し、天竜材の販路を広げたのです。

森林を守るためには林業が持続可能でなければならない。

その考え方は、現在の持続可能な森林経営や循環型社会にも通じています。

こうした努力によって、天竜地域は日本を代表する林業地帯へと発展し、今日の天竜美林へとつながっていきました。


金融・農業・福祉にも尽くした実業家

明善翁の功績は森林や河川だけではありません。

木材事業や運輸事業を手掛けたほか、銀行経営にも関わりました。

その一つである金原銀行は、後に現在の三菱UFJ銀行へとつながる金融機関の一つとなりました。

また北海道では農場を開設し、農業開拓にも尽力しました。

北海道金原農場は、多くの人々の生活基盤づくりに貢献しました。

さらに、出所した人々の社会復帰を支援する更生保護事業にも力を注ぎました。

現代でいう社会福祉活動です。

利益を追求するだけではなく、「社会を良くするために事業を行う」という考え方を実践していたのです。

今でいう「社会起業家」の先駆けだったといえるでしょう。


多くの偉人たちとの交流

明善翁は幅広い人脈を持っていました。

「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一氏、

幕末の剣豪として知られる山岡鉄舟氏とも交流がありました。

また、その人生に大きな影響を与えたのが、

報徳思想を説いた二宮尊徳、「至誠」の精神を重んじた吉田松陰、そして仏教です。

明善翁はこれらの教えを深く学び、「自分の利益よりも社会の利益を優先する」

という信念を生涯貫きました。


私たちが受け継ぐべきもの

金原明善翁は、天竜美林の生みの親であり、天竜川治水の功労者であり、

そして日本の森林・河川・金融・農業・福祉を支えた人物でした。

近年、日本では豪雨災害や森林の管理不足、地域活力の低下など多くの課題が生じています。

こうした時代だからこそ、明善翁が実践した

「森林を守る」「地域を守る」「人を育てる」

という考え方は、ますます重要になっています。

日本三大人工美林の一つである天竜美林は、単なる森林ではありません。

そこには、未来の世代のために行動した一人の先人の志が刻まれています。

私たちはその歴史を学び、森林の恵みを未来へつないでいく責任があるのではないでしょうか。


記:特定非営利活動法人 日本樹木リサイクル協会理事 大村相哲

(大村商事株式会社 代表取締役 大村相哲)



~参考~

●一般財団法人 金原治山治水財団 明善記念館(生家)

館長 金原 利幸様(金原明善翁の玄孫)とのヒアリング2026年5月30日


●一般財団法人 金原治山治水財団 明善記念館(生家)


●マンガ冊子「郷土の偉人 金原明善さんと今を生きるわたしたち」


●特集 金原明善編集委員会(YouTube)


●金原明善の生涯(YouTube)




 
 
 

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