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尾鷲(おわせ)ひのきの新たな魅力を発見しました

  • 14 時間前
  • 読了時間: 3分

昨年7月に三重県の尾鷲ひのきの取材を行いました。

これは、日本樹木リサイクル協会が作成している「日本の樹木とリサイクルの本」の中で、日本三大美林(青森ひば、秋田すぎ、木曽ひのき)、日本三大人工美林(天竜すぎ、尾鷲ひのき、吉野すぎ)を紹介するための取材です(令和9年3月完成予定)。 今回は2回目の取材として、三重県立熊野古道センター様、ならびに三重県尾鷲市役所水産農林事業推進課様にご教授いただきました。


~日本三大人工美林のはじまり~ 

明治時代初期、明治政府は「大日本植物帯調査報告書」というものを作成しました。これは、日本各地の森林植物帯を調査してまとめるためのものだといわれておりますが、これにより、日本三大人工美林である吉野すぎ、天竜すぎ、尾鷲ひのきの名が全国に知れ渡ったといわれます。


~尾鷲ひのきの特徴~ 

尾鷲地域は降雨量が日本平均の2倍以上と多く、温暖な気候やリアス式海岸に面した急斜面とやせた土壌という環境です。

 しかし、この不利な条件を逆手に取り、苗木を密植し、間伐を繰り返し、長い年月をかけて育てられた「尾鷲ひのき」はとても高品質です。


~尾鷲林業のパイオニア、土井家7代当主 土井 八郎兵衛(どい はちろうべえ)翁~

尾鷲林業の歴史は約400年。江戸時代から続いてきたといわれています。海や山の険しい地形を活かし、運搬・流通で栄えた町でもありました。 まず海路では尾鷲港を通じて、江戸、大坂、尾張などへ木材だけでなく米、野菜、海産物などを流通させました。一方、陸路では尾鷲の北部(現在の大紀町錦地区)から紀伊半島を横断し、山を越えて奈良県橿原方面へと続く約100kmの「塩の道」「魚(いよ)の道」を開き、物資を運びました(※このルートで運ばれた塩漬けの魚が、奈良の郷土料理「柿の葉寿司」のルーツになったといわれています)。

このような尾鷲の林業と物流を近代化させ、大きく発展させた立役者が、明治から昭和にかけて活躍された土井家7代当主・土井八郎兵衛翁(1872〜1954年)です。 土井氏は林業家としてだけでなく、銀行や学校の創設など地域の実業家としても多大な貢献をされました。東京の深川木場に貯木場を構えて販路を開拓し、尾鷲ひのきのブランドを全国区へと押し上げました。

さらに、木材の運搬技術にも大きなイノベーションを起こしました。 当時は川に浮かべて流す「筏(いかだ)流し」が一般的で、多大な労力と4〜5日もの日数を要していました。土井氏は山に支柱を立ててワイヤーロープを張り、空中で木材を運ぶ「索道(さくどう)」または「鉄索(てっさく)」という方法を導入し、わずか1日程度で安全かつ効率的に運ぶ仕組みを築き上げました。

この先進的な運搬技術は、1903(明治36)年に大阪で開催された「第5回内国勧業博覧会」でも高い評価を受け、尾鷲ひのきと尾鷲林業の名声を不動のものにしました。


~感想~

日本三大人工美林を調べていくにつれ、その歴史の礎を築かれた偉人たちを知り、大変感銘を受けております。 天竜すぎの金原明善(きんぱら めいぜん)翁。 吉野すぎの土倉庄三郎(どくら しょうざぶろう)翁。 そして尾鷲ひのきの土井八郎兵衛翁。 人工林の歴史は、先人たちの知恵と努力の結晶です。その偉大な功績と森林資源への想いを、後世にしっかりとつなげていきたいと改めて感じました。


~参考~









~写真1・2:熊野古道 伊勢路(いせじ)馬越(まごせ)峠付近 ~(大村が撮影)
~写真1・2:熊野古道 伊勢路(いせじ)馬越(まごせ)峠付近 ~(大村が撮影)
~写真3:軌道(きどう)の写真  ~
~写真3:軌道(きどう)の写真  ~
~写真4・5:魚の道(いよのみち)パンフレットの写真~(大村が撮影)
~写真4・5:魚の道(いよのみち)パンフレットの写真~(大村が撮影)

 
 
 

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